ミニマリストには程遠い
整理整頓したい、といつも思っている。
小さいころから親に「片づけなさい!」と言われ続け、怒られないためにその場しのぎで「片づける=端に寄せる」だった私。
大人になってからは、「片付け」「断捨離」最近は特に「ミニマリスト」の本やブログを読むのが好きで、読んだ後はものすごくテンションが上がり、ゴミ袋片手に部屋を見渡す。
でも、実際は目に見えてスッキリするほど捨てるモノがない。
普段からそこそこいらないモノは捨てているので、全体量は大して減らない。
でもある時気づいたのだ。
片づけるより散らかすスピードの方が上回っている
そして散らかす原因になるモノが多すぎることを…
私には「捨てるカテゴリ」に入れることができない収集したモノが多すぎる。
そこを捨てる気にはなれないのが問題ですね、はい。
以前いた会社に、人のモノまで片づけたい片付け魔の上司(男性)がいて「モノには住所があるんだ!使ったら戻すんだ!」と言われ、「私のモノは遊牧民なので住所不定です!歌って踊って暮らしているんだ!(意味不明)」と言い切ってた自分が懐かしい。
今思えば、確かに住所あったほうがいいよね…うん…
でも人のモノには触らないでほしいし、私も触りたくない。
それぞれ自分のルールってあると思うから、人のエリアまで侵略しないでほしい。
片づけられる人から見たら、自分がやってしまった方が早いって思うみたいだけど。
世の中の片付け本の言う通り、古いモノを処分しないと新しいモノが入る場所がないって本当だなぁと思う。
モノに対してもそうだけど、頭の中も。
好奇心だけ先走って、あっちもこっちも気になってしまう性格だから、頭の中も整理しないと新しいことをはじめる容量が足りない。
(そもそも最大容量が小さい、ということは置いといて)
やりたいことはあるのに、やれる状況にあるのに、何故か手につかないという状況。
原因の一つに、散らかっている部屋をみるとそのワクワクした気持ちも萎んでしまう、という理由があるように思う。
「部屋がスッキリする=頭の中がスッキリする」
本にも書いてあったけど、この二つはやっぱり連動しているようだ。
部屋は片づければいいけど(できてないけど)、問題は頭の中だ。
考えてもキリがないことを、何故頭の中に居座らせておくんだろう。
それが苦痛で仕方ないのに。
私は人の文章を読むのが好きだけど、自分の文章はどんなのだろうと常々思っていた。
書くことで色々ごちゃごちゃしている自分を振り返るきっかけになればいいなぁ…と思い、ブログをはじめてみることにした。
とりあえずデスク上の目の前にあるモノたちを端に寄せて。
片づけてから、じゃ何時まで経っても始められないので、片づけながら。
…片づけるモノ自体がなくなるのがミニマリストなんだろうな。